2013年02月20日
14.深夜のトーク番組「ドミアン」 ハロー、こちらドミアン! 1
眠れない夜中にテレビのチャンネルを付けてチャンネルを回していると、固定カメラにまっすぐに向かって1人の人物がしゃべり続けている深夜番組がありました。よく聞くと、しゃべり続けているというより、聞き続けていると言った方がよいことに気づきます。視聴者から次から次へとかかってくる電話に対応する彼、ドミアン。その名前をとった番組でありました。大体一人にさく時間は10分から15分。1時間番組なので、計算するとだいたい5人から6人に対応していることになります。
ヘッドホンを頭にかぶりマイクに向かう人物、飾り気のないスタジオ。机には水が入ったコップ、そして電話番号の表示と「1Live」というドピンク色の文字が目立っているだけの画面です。動くものといったら司会進行の人物の手や顔の表情だけで、テレビ番組としては異質でした。ところが、この「1Live」という局はもともとラジオ局だというのでその異質さが納得できました。ラジオ局での生放送の様子が「WDR」というテレビ局を通して放映される、いわばラジオ局がメインでありテレビ局が映像の放映権だけ受け持っているという、珍しい形態の番組であります。
この番組「ドミアン」はトークショーならぬトークラジオとして1995年から続いている、生放送の長寿番組であります。放送時間はかつては火曜日から土曜日まで、今は水曜日から土曜日までの午前1時から2時までです。ドイツでも日本でも、午前0時を過ぎると当然「次の日」になりますが、日本と違うのは、午前0時を過ぎてからの挨拶は「おはようございます」になるということです。まだまだ夜が深い時間なのに挨拶の上では朝を迎えている・・・というのは私にとっては違和感がありますが、深夜に電話をかけてきた人に対してはさわやかな「おはよう」で迎えます。
「ハロー、こちらドミアン、グーテンモルゲン!」
しかし、時にはかなり悩みの濃い内容に。人間、夜中になると心に溜めていたいろいろなことを話したがるというのは古今東西の共通点であるようです。生放送のため編集などは一切なく、よって、放送禁止用語などのカットはなし。ドミアンの、聞き手としての技術や対応がこの番組を作っているともいってもよいでしょう。ラジオを聞いている、そしてテレビを見ている人は、ここで驚くばかりの人生を聞く事になります。まじめできっちりとしているという印象があるドイツ人ですが、彼らの闇をも聞く思いです。番組では、水曜日には決まったテーマが設けられており、それ以外の曜日は自由にトークができるようになっています。
このラジオ番組は、もともとは1991年から1995年の15時に放送されていた若者向けの番組、「Die Heiße Nummer(お熱い番号)」というものでした。思春期を迎えたころの若者の考えや悩みを聞くことで、その時代の若者が何を考えているかが分かるような内容の番組でした。番組は毎日放送されており、聞き役としてジャーナリストがこれに対応。1993年になると、金曜日には固定でドミアンが司会を勤めることになります。これがヒット。つまり、かかってくる電話が金曜日のドミアンに集中、増加し、深夜帯に進出することに。そして昼間の時間には話せなかったこともすべて話せるようになっていくのです。
ドミアンが、こんなにも人生相談のトークラジオで人気を博したのには、彼がとても話しやすい存在だったからでしょう。ドミアンは、一度も会ったことのない相手とでも、まるでお友達と話すようなリラックスした雰囲気をつくりだし、相手が話をしやすくします。例え非難がありそうな話でも、「ヘえ、そんなことがあったんだ。それで次はどうなったの、話してみて」だとか、「それで、その時君はどう感じたの?」など、状況やその時の感情を汲み取っていきます。
自分は心理学者でもないし、専門的な勉強をしたことがないので、単なる一視聴者として対応するように心がけているというドミアン。下手なアドバイスはせず、興味にかられることは突っ込んで聞く。電話をかけてきてくれた人を勇気づけ、ラジオ番組に出演しているとは思わせないような普通の会話に仕立てていく。これは一般的におかしな意見だという場合には、「98%の視聴者が思っていることだと思うのだけれど」など言いつつ、視聴者を代表して意見を代弁していく。
とにかく人々が驚くような話が飛び込んできても、ドミアンは冷静に対応します。その代わり電話の最後には、自ら電話を切ろうとせず、「電話を切らないでこれから専門家に繋ぎますよ」と言って、電話をかけてきた人の悩みに具体的なアドバイスをする心理専門家や、近くの専門機関を探してくれるリサーチャーに電話を引き継ぎます。
語り手は、誰にも話せなかったことをまずはドミアンに話すことができて、ほっとするようです。番組はまるで、童話「裸の王様」に出てくる理髪師がよく使っていた「何でも言える穴」のようなもの。番組を通して、それぞれの人々の今までに話せなかった述懐、懺悔、苦悩を聞きます。ドミアンに話を聞いてもらっただけでも楽になるという人たちもおり、彼に話を聞いてもらいたいという人たちもいます(実際には、話はラジオを通して他の人にも丸聞こえになってしまうのですが)。ある意味、ドミアンは視聴者の話を聴くのみなのですが、「彼にだからこそ話せる」と思わせるような性質を持っている人でもあり、その後に語り手に解決方法を示唆する専門家、ドミアンチームがこの番組を支えているのです。
「ドミアン」ことユルゲン•ドミアンは、1957年にケルンの近くで生まれ、ドイツ語学、哲学と政治学を勉強しました。日本では考えられないことですが、ドイツの大学では2つ以上の学科を修めなければ卒業できません。ですのでこのように2つ以上の学科が書かれるのは普通のことなのです。そしてケルンはテレビ局などが多くあるメディアシティ。大学を卒業後、テレビ番組でちょい役としてアルバイトをしていましたが、ある番組の司会進行役に抜擢されてからこの道で活躍、いや大活躍しています。
ドミアンに話を聞いてもらいたいという人が増えるのは、もしかしたら、彼が自分はバイセクシャルであると公言していることと関係があるかもしれません。メディアを自分の仕事場としている人や政治家の中には、自ら自分の性質を公にする人が多いです。自分がレズビアンまたはホモセクシャルであることだけでなく、一緒に住んでいる彼女、あるいは彼の存在、名前さえも公にしていきます。メディアに勘ぐられるよりも先に自分が言ってしまったほうが周りの理解も得やすいといったところでしょうか。あるいは、周りに気を遣うより先に自分を受け入れるということでもあるかもしれません。
日本では、性転手術をした男性がタレントとして芸能界で活躍したり、水商売で生計を立てたりという例が、メディアを通して紹介されています。しかし、ドイツのように、例えば性的な傾向が自分の見た目の体と違っていても政治家になっていたり、コメディアンになっていたり、あるいはキャスターになっていたりという例はないかもしれません。もっとも、公にはなっていないだけかもしれませんが。
ドイツでは、職業と性的な傾向は別という隔離された考えはあまりありません。例えばベルリンはリベラルな街としても有名ですが、市長、ヴォーベライトは自分がホモセクシャルであるということを公言しています。しかもわざわざ選挙戦の前に公言して選挙に勝った人で、街の人たちから言わせると性的な傾向を云々いうよりも、職業人としてやってくれるところはやってくれる人に票を投じるというというところでしょうか。まだまだ小さい地方都市はこういうことに理解できない人も多く偏見も多いですが、大都市では政教分離ならぬ、性職分離が成り立っています。
ドミアンの場合は、彼がバイセクシャルを公言しこれを受け入れているのがわかるので、電話をかけてくる人に取っては彼はなんでも受け入れてくれるという気持ちがあるのでしょう。ある意味、タブーの公言がラジオの深夜番組のキャスターとしてよい方向に向いたようです。面白いようですが、彼の存在は懺悔の告白を聴く教会での司祭のようでもあります。そんなドミアンに向けて、今夜も電話が鳴ります。眠れない夜がさらに眠れなくなります。
≫「ドミアン」の番組ホームページはこちら
http://www.einslive.de/sendungen/domian/
≫この続きを読む
◆このコラムの他の記事を読む
(1)ドイツ版、国民的アイドルは誰ですの?
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≫その2
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(2)「借金からの脱出」借金解決請負人-ペーター・ツヴィーガート
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(7)政治家シリーズ
≫「ドイツの母」フォン・デア・ライエン氏
≫「ドイツの右腕」ヴォルフガング・ショイブレ氏
≫「ドイツの首相」アンゲラ・メルケル氏
◆このコラムの著者、河村恵理さんのお話を、コラム「インタビュー・ノート」にて掲載しています。
河村さんのドイツでのお仕事、現在に至るまでの経緯などが語られています。
・前編 http://interview.eshizuoka.jp/e953874.html
・中編 http://interview.eshizuoka.jp/e956661.html
・後編 http://interview.eshizuoka.jp/e960315.html
ヘッドホンを頭にかぶりマイクに向かう人物、飾り気のないスタジオ。机には水が入ったコップ、そして電話番号の表示と「1Live」というドピンク色の文字が目立っているだけの画面です。動くものといったら司会進行の人物の手や顔の表情だけで、テレビ番組としては異質でした。ところが、この「1Live」という局はもともとラジオ局だというのでその異質さが納得できました。ラジオ局での生放送の様子が「WDR」というテレビ局を通して放映される、いわばラジオ局がメインでありテレビ局が映像の放映権だけ受け持っているという、珍しい形態の番組であります。
この番組「ドミアン」はトークショーならぬトークラジオとして1995年から続いている、生放送の長寿番組であります。放送時間はかつては火曜日から土曜日まで、今は水曜日から土曜日までの午前1時から2時までです。ドイツでも日本でも、午前0時を過ぎると当然「次の日」になりますが、日本と違うのは、午前0時を過ぎてからの挨拶は「おはようございます」になるということです。まだまだ夜が深い時間なのに挨拶の上では朝を迎えている・・・というのは私にとっては違和感がありますが、深夜に電話をかけてきた人に対してはさわやかな「おはよう」で迎えます。
「ハロー、こちらドミアン、グーテンモルゲン!」
しかし、時にはかなり悩みの濃い内容に。人間、夜中になると心に溜めていたいろいろなことを話したがるというのは古今東西の共通点であるようです。生放送のため編集などは一切なく、よって、放送禁止用語などのカットはなし。ドミアンの、聞き手としての技術や対応がこの番組を作っているともいってもよいでしょう。ラジオを聞いている、そしてテレビを見ている人は、ここで驚くばかりの人生を聞く事になります。まじめできっちりとしているという印象があるドイツ人ですが、彼らの闇をも聞く思いです。番組では、水曜日には決まったテーマが設けられており、それ以外の曜日は自由にトークができるようになっています。
このラジオ番組は、もともとは1991年から1995年の15時に放送されていた若者向けの番組、「Die Heiße Nummer(お熱い番号)」というものでした。思春期を迎えたころの若者の考えや悩みを聞くことで、その時代の若者が何を考えているかが分かるような内容の番組でした。番組は毎日放送されており、聞き役としてジャーナリストがこれに対応。1993年になると、金曜日には固定でドミアンが司会を勤めることになります。これがヒット。つまり、かかってくる電話が金曜日のドミアンに集中、増加し、深夜帯に進出することに。そして昼間の時間には話せなかったこともすべて話せるようになっていくのです。
ドミアンが、こんなにも人生相談のトークラジオで人気を博したのには、彼がとても話しやすい存在だったからでしょう。ドミアンは、一度も会ったことのない相手とでも、まるでお友達と話すようなリラックスした雰囲気をつくりだし、相手が話をしやすくします。例え非難がありそうな話でも、「ヘえ、そんなことがあったんだ。それで次はどうなったの、話してみて」だとか、「それで、その時君はどう感じたの?」など、状況やその時の感情を汲み取っていきます。
自分は心理学者でもないし、専門的な勉強をしたことがないので、単なる一視聴者として対応するように心がけているというドミアン。下手なアドバイスはせず、興味にかられることは突っ込んで聞く。電話をかけてきてくれた人を勇気づけ、ラジオ番組に出演しているとは思わせないような普通の会話に仕立てていく。これは一般的におかしな意見だという場合には、「98%の視聴者が思っていることだと思うのだけれど」など言いつつ、視聴者を代表して意見を代弁していく。
とにかく人々が驚くような話が飛び込んできても、ドミアンは冷静に対応します。その代わり電話の最後には、自ら電話を切ろうとせず、「電話を切らないでこれから専門家に繋ぎますよ」と言って、電話をかけてきた人の悩みに具体的なアドバイスをする心理専門家や、近くの専門機関を探してくれるリサーチャーに電話を引き継ぎます。
語り手は、誰にも話せなかったことをまずはドミアンに話すことができて、ほっとするようです。番組はまるで、童話「裸の王様」に出てくる理髪師がよく使っていた「何でも言える穴」のようなもの。番組を通して、それぞれの人々の今までに話せなかった述懐、懺悔、苦悩を聞きます。ドミアンに話を聞いてもらっただけでも楽になるという人たちもおり、彼に話を聞いてもらいたいという人たちもいます(実際には、話はラジオを通して他の人にも丸聞こえになってしまうのですが)。ある意味、ドミアンは視聴者の話を聴くのみなのですが、「彼にだからこそ話せる」と思わせるような性質を持っている人でもあり、その後に語り手に解決方法を示唆する専門家、ドミアンチームがこの番組を支えているのです。
「ドミアン」ことユルゲン•ドミアンは、1957年にケルンの近くで生まれ、ドイツ語学、哲学と政治学を勉強しました。日本では考えられないことですが、ドイツの大学では2つ以上の学科を修めなければ卒業できません。ですのでこのように2つ以上の学科が書かれるのは普通のことなのです。そしてケルンはテレビ局などが多くあるメディアシティ。大学を卒業後、テレビ番組でちょい役としてアルバイトをしていましたが、ある番組の司会進行役に抜擢されてからこの道で活躍、いや大活躍しています。
ドミアンに話を聞いてもらいたいという人が増えるのは、もしかしたら、彼が自分はバイセクシャルであると公言していることと関係があるかもしれません。メディアを自分の仕事場としている人や政治家の中には、自ら自分の性質を公にする人が多いです。自分がレズビアンまたはホモセクシャルであることだけでなく、一緒に住んでいる彼女、あるいは彼の存在、名前さえも公にしていきます。メディアに勘ぐられるよりも先に自分が言ってしまったほうが周りの理解も得やすいといったところでしょうか。あるいは、周りに気を遣うより先に自分を受け入れるということでもあるかもしれません。
日本では、性転手術をした男性がタレントとして芸能界で活躍したり、水商売で生計を立てたりという例が、メディアを通して紹介されています。しかし、ドイツのように、例えば性的な傾向が自分の見た目の体と違っていても政治家になっていたり、コメディアンになっていたり、あるいはキャスターになっていたりという例はないかもしれません。もっとも、公にはなっていないだけかもしれませんが。
ドイツでは、職業と性的な傾向は別という隔離された考えはあまりありません。例えばベルリンはリベラルな街としても有名ですが、市長、ヴォーベライトは自分がホモセクシャルであるということを公言しています。しかもわざわざ選挙戦の前に公言して選挙に勝った人で、街の人たちから言わせると性的な傾向を云々いうよりも、職業人としてやってくれるところはやってくれる人に票を投じるというというところでしょうか。まだまだ小さい地方都市はこういうことに理解できない人も多く偏見も多いですが、大都市では政教分離ならぬ、性職分離が成り立っています。
ドミアンの場合は、彼がバイセクシャルを公言しこれを受け入れているのがわかるので、電話をかけてくる人に取っては彼はなんでも受け入れてくれるという気持ちがあるのでしょう。ある意味、タブーの公言がラジオの深夜番組のキャスターとしてよい方向に向いたようです。面白いようですが、彼の存在は懺悔の告白を聴く教会での司祭のようでもあります。そんなドミアンに向けて、今夜も電話が鳴ります。眠れない夜がさらに眠れなくなります。
≫「ドミアン」の番組ホームページはこちら
http://www.einslive.de/sendungen/domian/
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(7)政治家シリーズ
≫「ドイツの母」フォン・デア・ライエン氏
≫「ドイツの右腕」ヴォルフガング・ショイブレ氏
≫「ドイツの首相」アンゲラ・メルケル氏
◆このコラムの著者、河村恵理さんのお話を、コラム「インタビュー・ノート」にて掲載しています。
河村さんのドイツでのお仕事、現在に至るまでの経緯などが語られています。
・前編 http://interview.eshizuoka.jp/e953874.html
・中編 http://interview.eshizuoka.jp/e956661.html
・後編 http://interview.eshizuoka.jp/e960315.html
Posted by eしずおかコラム at 12:00