2012年11月28日
9.ドイツの人気テレビ番組「ほんとうにほんとうの人生」 その3
「ほんとうにほんとうの人生」第1回目を読む
「ほんとうにほんとうの人生」第2回目を読む
コラムに登場する3人が活躍する、ドイツ・ハンブルクの港町
『ダス ウィルクリッヒ ワーレ レーベン-ほんとうにほんとうの人生』という生コメディー番組に出演する3人の役者とは一体、どんな"ほんとうの人生"を送っているのでしょうか。
ディトチェことオリ・ディートリッヒは1956年オッフェンバッハ生まれのコメディアン。その他にも役者、ミュージシャン、執筆家、作曲家という肩書きをもっており活躍範囲は多彩です。オリ・ディートリッヒは、もともとはなにか音楽に関わるような仕事をしたかった、ハンブルクのレコード会社で作曲家として勤めていたといいます。サラリーマンとして働きながら彼の目標である音楽的なことを模索していた時、同じく大学卒業後にバンドをもっていて、後にコメディアンとなったヴィーガルド・ボーニングと二人で「Die Doofe(バカな人たち)」というデュオをつくってシングルを出したり、この二人でコメディアンとしてハンブルクのコメディー劇場に出演していたといいます。
ドイツには「吉本」というような団体はないので、コメディアンになりたい人は都市にあるコメディー劇場で腕を磨いたり、あるいは今ではよくあるのですが、テレビのコメディーショーに出場して人気を得て、その道を目指すということのようです。オリとこのヴィーガルド・ボーニングはハンブルクで活躍していましたが、それから全国的に知られるようになったのは、1993年から1995年まで続いたRTL局の「土曜日の夜」というコメディー番組に抜擢されたことがきっかけでした。この番組の中で「Zwei Stühle – eine Meinung (二つのイス ― ひとつの意見)」というとてもヒットしたシリーズコントがありました。ヴィーガルド・ボーニングが司会者役として有名人にインタビューするという形式で毎回ゲストは違い、といっても、オリが物まねでそのインタビューに答えるというものなのですが。F1の王者シューマッハや、テニス界のボーリス・ベッカーや、その他ドイツの政治家や著名人の物まねをしていたそうです。「物まね」というよりは、最近話題にのぼった著名人のニュースをパロディにしていたようです。この番組がヒットし、オリとヴィーガルド・ボーニングはドイツ中で多くの観客の心を掴むようになったそうです。
ドイツのコメディーショーを見ると、日本のコメディーと違い、出演者がソロででてくることが多いことに驚かされます。出演者が一人ででてきて、それで観客にとうとうと面白いことを話し始めるというのが基本のスタイルのようです。たぶんトリオとかコンビとか、ぼけと突っ込みとかそういった2人や3人でできる状況や演技の面白さというよりも、しゃべりの面白さがあればコメディアンとしてやっていけるのではないでしょうか。日本でいうと、1人で出てきてお客さんと対峙する落語に近いかもしれません。ただし、ドイツ人はおとなしく座っていることはなく、立ち上がって観客に向かっていますが。このように個人プレイが多く、もし2人での舞台であれば、コンビということではなく共演者どうしとしての個々という印象が強いです。
このコラムに登場するオリは、自分と対面する人物があってのデュオ形式(コンビという形の定着度があるものではないのでデュオ)が得意のようです。
この番組が終わっても、オリはコメディーのデュオ、今度は女性のコメディアン、アンケ・エンゲルケと共に「Blinde Date 盲目のデート」という2000年からのシリーズ6本をZDF局で放送しました。タイトルからも分かるように、男女がお互いの事を知らず、一番始めに出会うときの様子をコメディーにしたものです。そしてこの番組は前もっての打ち合わせはあるけれども脚本なしで撮影したもの。組んだパートナー、アンケ・エンゲルケも有名なコメディアンです。この番組はデュオとしてシリーズを立ち上げる、そして即興性が強い作品はオリのコメディーの特徴でもつくられ、後に集大成といわれる『ダス ウィルクリッヒ ワーレ レーベン ― ほんとうにほんとうの人生』に繋がる作品であったのではないかと思います。この「Blinde Date 盲目のデート」はグリメというテレビ賞を獲得しています。
『ダス ウィルクリッヒ ワーレ レーベン-ほんとうにほんとうの人生』の話に戻りましょう。登場人物は3人ですが、失業者のディトチェとインビスの店主インゴとの2人のやり取りが多く、この2人が組といってもいい関係です。インゴ役のヨン・フレミング・オステンは、デュッセルドルフ生まれ。青年時代ハンブルクに移り音楽大学に通った彼は純粋に音楽畑の人で、1997年に自らカントリーを聞かせるバンドを結成していました。1999年にオリにある番組のインビスの店主役を引き受けないかという話を受け、快諾したのがインゴのデビューになります。
インゴはインゴとしてさて、ヨン・フレミング・オステンとはどういう人物だろうかと彼のホームページ(http://www.jfolsen.de/)を見てみると、あ~らびっくり。インビスの店主インゴはふっさふさの髪の毛を逆立てしている人物ですが、本物のヨン・フレミング・オステンは坊主頭で、坊主頭というよりも髪の毛がなかったので違うページを開いてしまったかと疑うぐらい目を疑いました。珍しく出演したインタビュー番組でもカツラなしに出演していたりして、他の出演者や観客が彼の普段見慣れてない姿にやはり驚きを隠しきれない様子でした。
オリがヨン・フレミング・オステンをインビスの店主としてある番組に招待したように、ヨン・フレミング・オステンはオリを自分のバンドの仲間に入れ、2人は音楽の方面でも一時期一緒に活動していました。
ヨン・フレミング・オステンはこのインビス店主としての自分に感化されたのか、2009年にドイツ中にあるインビスを訪ね歩いて「In 16 Tagen um die Wurst (ソーセージをとりまく16日間)」という本を書いています。日本のニュアンスでタイトルを改名すると「全国のすばらしき立ち食いそば屋さん」という感じでしょうか。インビスでソーセージを食べるのは、ドイツではマスト。インビスを巡る話を「ソーセージ」と銘打って16の州にある16のこだわりのインビスを紹介しています。
このオリとヨン・フレミング・オステンはお互いに『ダス ウィルクリッヒ ワーレ レーベン ― ほんとうにほんとうの人生』という番組以外でも影響しあっているようです。
そして3人目の登場人物、シルドクローテ(亀)ことフランツ・ヤルナハは番組の中では本当に亀のように動かず、ディトチェとインゴには背を向け、インビスの角でちびちびと瓶ビールを飲む役柄です。→www.schildkroete-live.de/
時々、オリの話に薄笑いを浮かべたり、振り返ったりはするのですが、基本的に動かない役です。それでディトチェが自分の妄想や考えにとても興奮してしまって収拾がつかなくなった時、番組で最後の言葉、「Halt die Klappe, ich hab Feierabend!(うるさい、俺はもう仕事おわったんだよ!)」を言う役。彼と彼の言葉がないと番組が終わらないというような、締めの人物でもあります。フランツ・ヤルナハはハンブルクで活躍する正真正銘のロックンローラー。Mr. Piggiとして25年以上の芸歴があるとのこと。
これら3人の登場人物はハンブルクで活躍し、また音楽の領域でも活躍している人たち。ハンブルクはハンザ同盟の街そして港街として栄え、なにか言葉ではあまりはっきりとは言えないですが、これこそハンブルクだという雰囲気があります。倉庫街、うずたかく積み上がる巨大コンテナ、これもまた巨大な船々、水、ちょっと怪しげな繁華街、寛大な空気、とにもかくにも建物が大きい。一度早朝6時から10時までの間しかやってないというフィッシュマーケットに行ったことがありますが、それが広大な敷地で行われていて、なんともハンブルクの懐が深い所がわかります。
またそのフィッシュマーケットでは昔は倉庫だったのでしょうか、巨大ホールがあり、朝6時からひっきりなしに続いているバンドの演奏がありました。舞台が左右それぞれにあり、右で何分か演奏したら次は左のステージというふうにプログラムが決まっているようで、どんどんバンドが交代していきます。また、観客も最初は右のステージにいって、それが終わるとさーっと左のステージに移り、左のステージが終わると間髪いれずに右のステージで演奏が始まって観客が移動する・・・ということを繰り返しています。右と左のステージの間が200メートルぐらい離れているのですから、なんとも巨大ホールです。さらに驚くべきことはそのロックンローラーたちの年齢。次から次へと変わるロックンローラーたちは「往年の」という感じで、白髪を振りかざしている人も。ハンブルクは永遠なるミュージシャンの街という印象です。
ハンブルクの港町としての土壌も、この稀なる生放送コメディー番組が成立した理由かなと思わずにはいられません。
◆このコラムの他の記事を読む
(1)ドイツ版、国民的アイドルは誰ですの?
≫その1
≫その2
≫その3
(2)「借金からの脱出」借金解決請負人-ペーター・ツヴィーガート
≫その1
≫その2
≫その3
(3)ドイツの人気テレビ番組「ほんとうにほんとうの人生」
≫その1
≫その2
≫その3
(4)売れないレストラン再建!独TV番組「レストランテスター」
≫その1
≫その2
≫その3
(5)深夜のトーク番組「ドミアン」 ハロー、こちらドミアン!
≫その1
≫その2
≫その3
(6)黒髪長身のスーパー教育アドバイザーが家庭訪問。「スーパーナニー」
≫その1
≫その2
≫その3
(7)政治家シリーズ
≫「ドイツの母」フォン・デア・ライエン氏
≫「ドイツの右腕」ヴォルフガング・ショイブレ氏
≫「ドイツの首相」アンゲラ・メルケル氏
◆このコラムの著者、河村恵理さんのお話を、コラム「インタビュー・ノート」にて掲載しています。
河村さんのドイツでのお仕事、現在に至るまでの経緯などが語られています。
・前編 http://interview.eshizuoka.jp/e953874.html
・中編 http://interview.eshizuoka.jp/e956661.html
・後編 http://interview.eshizuoka.jp/e960315.html
「ほんとうにほんとうの人生」第2回目を読む
コラムに登場する3人が活躍する、ドイツ・ハンブルクの港町
『ダス ウィルクリッヒ ワーレ レーベン-ほんとうにほんとうの人生』という生コメディー番組に出演する3人の役者とは一体、どんな"ほんとうの人生"を送っているのでしょうか。
ディトチェことオリ・ディートリッヒは1956年オッフェンバッハ生まれのコメディアン。その他にも役者、ミュージシャン、執筆家、作曲家という肩書きをもっており活躍範囲は多彩です。オリ・ディートリッヒは、もともとはなにか音楽に関わるような仕事をしたかった、ハンブルクのレコード会社で作曲家として勤めていたといいます。サラリーマンとして働きながら彼の目標である音楽的なことを模索していた時、同じく大学卒業後にバンドをもっていて、後にコメディアンとなったヴィーガルド・ボーニングと二人で「Die Doofe(バカな人たち)」というデュオをつくってシングルを出したり、この二人でコメディアンとしてハンブルクのコメディー劇場に出演していたといいます。
ドイツには「吉本」というような団体はないので、コメディアンになりたい人は都市にあるコメディー劇場で腕を磨いたり、あるいは今ではよくあるのですが、テレビのコメディーショーに出場して人気を得て、その道を目指すということのようです。オリとこのヴィーガルド・ボーニングはハンブルクで活躍していましたが、それから全国的に知られるようになったのは、1993年から1995年まで続いたRTL局の「土曜日の夜」というコメディー番組に抜擢されたことがきっかけでした。この番組の中で「Zwei Stühle – eine Meinung (二つのイス ― ひとつの意見)」というとてもヒットしたシリーズコントがありました。ヴィーガルド・ボーニングが司会者役として有名人にインタビューするという形式で毎回ゲストは違い、といっても、オリが物まねでそのインタビューに答えるというものなのですが。F1の王者シューマッハや、テニス界のボーリス・ベッカーや、その他ドイツの政治家や著名人の物まねをしていたそうです。「物まね」というよりは、最近話題にのぼった著名人のニュースをパロディにしていたようです。この番組がヒットし、オリとヴィーガルド・ボーニングはドイツ中で多くの観客の心を掴むようになったそうです。
ドイツのコメディーショーを見ると、日本のコメディーと違い、出演者がソロででてくることが多いことに驚かされます。出演者が一人ででてきて、それで観客にとうとうと面白いことを話し始めるというのが基本のスタイルのようです。たぶんトリオとかコンビとか、ぼけと突っ込みとかそういった2人や3人でできる状況や演技の面白さというよりも、しゃべりの面白さがあればコメディアンとしてやっていけるのではないでしょうか。日本でいうと、1人で出てきてお客さんと対峙する落語に近いかもしれません。ただし、ドイツ人はおとなしく座っていることはなく、立ち上がって観客に向かっていますが。このように個人プレイが多く、もし2人での舞台であれば、コンビということではなく共演者どうしとしての個々という印象が強いです。
このコラムに登場するオリは、自分と対面する人物があってのデュオ形式(コンビという形の定着度があるものではないのでデュオ)が得意のようです。
この番組が終わっても、オリはコメディーのデュオ、今度は女性のコメディアン、アンケ・エンゲルケと共に「Blinde Date 盲目のデート」という2000年からのシリーズ6本をZDF局で放送しました。タイトルからも分かるように、男女がお互いの事を知らず、一番始めに出会うときの様子をコメディーにしたものです。そしてこの番組は前もっての打ち合わせはあるけれども脚本なしで撮影したもの。組んだパートナー、アンケ・エンゲルケも有名なコメディアンです。この番組はデュオとしてシリーズを立ち上げる、そして即興性が強い作品はオリのコメディーの特徴でもつくられ、後に集大成といわれる『ダス ウィルクリッヒ ワーレ レーベン ― ほんとうにほんとうの人生』に繋がる作品であったのではないかと思います。この「Blinde Date 盲目のデート」はグリメというテレビ賞を獲得しています。
『ダス ウィルクリッヒ ワーレ レーベン-ほんとうにほんとうの人生』の話に戻りましょう。登場人物は3人ですが、失業者のディトチェとインビスの店主インゴとの2人のやり取りが多く、この2人が組といってもいい関係です。インゴ役のヨン・フレミング・オステンは、デュッセルドルフ生まれ。青年時代ハンブルクに移り音楽大学に通った彼は純粋に音楽畑の人で、1997年に自らカントリーを聞かせるバンドを結成していました。1999年にオリにある番組のインビスの店主役を引き受けないかという話を受け、快諾したのがインゴのデビューになります。
インゴはインゴとしてさて、ヨン・フレミング・オステンとはどういう人物だろうかと彼のホームページ(http://www.jfolsen.de/)を見てみると、あ~らびっくり。インビスの店主インゴはふっさふさの髪の毛を逆立てしている人物ですが、本物のヨン・フレミング・オステンは坊主頭で、坊主頭というよりも髪の毛がなかったので違うページを開いてしまったかと疑うぐらい目を疑いました。珍しく出演したインタビュー番組でもカツラなしに出演していたりして、他の出演者や観客が彼の普段見慣れてない姿にやはり驚きを隠しきれない様子でした。
オリがヨン・フレミング・オステンをインビスの店主としてある番組に招待したように、ヨン・フレミング・オステンはオリを自分のバンドの仲間に入れ、2人は音楽の方面でも一時期一緒に活動していました。
ヨン・フレミング・オステンはこのインビス店主としての自分に感化されたのか、2009年にドイツ中にあるインビスを訪ね歩いて「In 16 Tagen um die Wurst (ソーセージをとりまく16日間)」という本を書いています。日本のニュアンスでタイトルを改名すると「全国のすばらしき立ち食いそば屋さん」という感じでしょうか。インビスでソーセージを食べるのは、ドイツではマスト。インビスを巡る話を「ソーセージ」と銘打って16の州にある16のこだわりのインビスを紹介しています。
このオリとヨン・フレミング・オステンはお互いに『ダス ウィルクリッヒ ワーレ レーベン ― ほんとうにほんとうの人生』という番組以外でも影響しあっているようです。
そして3人目の登場人物、シルドクローテ(亀)ことフランツ・ヤルナハは番組の中では本当に亀のように動かず、ディトチェとインゴには背を向け、インビスの角でちびちびと瓶ビールを飲む役柄です。→www.schildkroete-live.de/
時々、オリの話に薄笑いを浮かべたり、振り返ったりはするのですが、基本的に動かない役です。それでディトチェが自分の妄想や考えにとても興奮してしまって収拾がつかなくなった時、番組で最後の言葉、「Halt die Klappe, ich hab Feierabend!(うるさい、俺はもう仕事おわったんだよ!)」を言う役。彼と彼の言葉がないと番組が終わらないというような、締めの人物でもあります。フランツ・ヤルナハはハンブルクで活躍する正真正銘のロックンローラー。Mr. Piggiとして25年以上の芸歴があるとのこと。
これら3人の登場人物はハンブルクで活躍し、また音楽の領域でも活躍している人たち。ハンブルクはハンザ同盟の街そして港街として栄え、なにか言葉ではあまりはっきりとは言えないですが、これこそハンブルクだという雰囲気があります。倉庫街、うずたかく積み上がる巨大コンテナ、これもまた巨大な船々、水、ちょっと怪しげな繁華街、寛大な空気、とにもかくにも建物が大きい。一度早朝6時から10時までの間しかやってないというフィッシュマーケットに行ったことがありますが、それが広大な敷地で行われていて、なんともハンブルクの懐が深い所がわかります。
またそのフィッシュマーケットでは昔は倉庫だったのでしょうか、巨大ホールがあり、朝6時からひっきりなしに続いているバンドの演奏がありました。舞台が左右それぞれにあり、右で何分か演奏したら次は左のステージというふうにプログラムが決まっているようで、どんどんバンドが交代していきます。また、観客も最初は右のステージにいって、それが終わるとさーっと左のステージに移り、左のステージが終わると間髪いれずに右のステージで演奏が始まって観客が移動する・・・ということを繰り返しています。右と左のステージの間が200メートルぐらい離れているのですから、なんとも巨大ホールです。さらに驚くべきことはそのロックンローラーたちの年齢。次から次へと変わるロックンローラーたちは「往年の」という感じで、白髪を振りかざしている人も。ハンブルクは永遠なるミュージシャンの街という印象です。
ハンブルクの港町としての土壌も、この稀なる生放送コメディー番組が成立した理由かなと思わずにはいられません。
◆このコラムの他の記事を読む
(1)ドイツ版、国民的アイドルは誰ですの?
≫その1
≫その2
≫その3
(2)「借金からの脱出」借金解決請負人-ペーター・ツヴィーガート
≫その1
≫その2
≫その3
(3)ドイツの人気テレビ番組「ほんとうにほんとうの人生」
≫その1
≫その2
≫その3
(4)売れないレストラン再建!独TV番組「レストランテスター」
≫その1
≫その2
≫その3
(5)深夜のトーク番組「ドミアン」 ハロー、こちらドミアン!
≫その1
≫その2
≫その3
(6)黒髪長身のスーパー教育アドバイザーが家庭訪問。「スーパーナニー」
≫その1
≫その2
≫その3
(7)政治家シリーズ
≫「ドイツの母」フォン・デア・ライエン氏
≫「ドイツの右腕」ヴォルフガング・ショイブレ氏
≫「ドイツの首相」アンゲラ・メルケル氏
◆このコラムの著者、河村恵理さんのお話を、コラム「インタビュー・ノート」にて掲載しています。
河村さんのドイツでのお仕事、現在に至るまでの経緯などが語られています。
・前編 http://interview.eshizuoka.jp/e953874.html
・中編 http://interview.eshizuoka.jp/e956661.html
・後編 http://interview.eshizuoka.jp/e960315.html
Posted by eしずおかコラム at 12:00