2013年07月03日
22.「ドイツの首相」 政治家シリーズ3
現在のドイツの首相といえばアンゲラ・メルケル氏。前回の号で紹介したショイブレ氏の献金疑惑により2000年、彼の代わりにCDU(キリスト教民主同盟)党首となり、その時は一時政権がSPD(ドイツ社会民主党)に渡っていたので党首といっても首相とはならず、2005年にCDUが政権を奪回した際に首相になりました。それから現在にいたるまでCDUの党首そしてドイツの首相として活躍しています。
アンゲラ・メルケル氏の祖父は第一次世界大戦でドイツ軍に徴兵されたポーランド人で後にベルリンに住んだ方だそうです。生まれはハンブルク生まれ、ただし父がプロテスタントの教会の牧師だった関係で東ドイツに赴任することになり、生後すぐに東ドイツに移住しています。西ドイツ生まれだが,東ドイツ育ちだという珍しい略歴をもつことに。若い頃から政治には興味をもっていたようで、父親が聖職についていたことから加入義務はなかったものの、東ドイツの青年政治集団、自由ドイツ青年団に所属していました。またCDUというのは西側の最も保守的な党ですので、のちに首相になってから若かりしとはいえ東ドイツの政治組織に入っていたことをマスコミに揶揄されるのですが、彼女は堂々とした立ち回りで、「ええ、そのことについてはだれも訊ねなかったでしょ。」と返し手を打っていました。
学生のころは成績はよいもののあまり目立たない存在だったようです。1973年、名前から東ドイツの大学だとすぐにわかるのですが、当時カールマルクス・ライプツィッヒ大学(現ライプツィッヒ大学)へ本当はロシア語と物理の先生になりたくて就学しました。学問は結局、物理学をおさめることになり、モスクワとレニングラードにて勉強をしていたとき、最初の夫,となる人メルケル氏に出会います。そうなのです。彼女の今の姓名は最初の夫からのものです。夫と共に東ベルリンの科学アカデミーの物理化学センターに就職し、1982年には離婚を経験しています。また今の夫である科学者のヨアキム・ザウアーとは1998年に結婚していますが、実は1984年の時にすでに出会っている方です。首相になった今では彼女は多忙で、土曜日の夕食ぐらいしか彼と話ができないなどインタビューで語っていました。その後 彼女は1986年に博士号を取得することに。
そして1989年にベルリンの壁崩壊という歴史的事実を迎え、メルケルは先行きが見えなくなった科学アカデミーを辞め、政治家に転身します。1990年に行われた東ドイツでの選挙にてプロテスタント系の運動から発祥したDA(民主主義の出発)という党から立候補。当選。党の報道官に。このDA党は東ドイツのCDUと合流しそして、メルケル氏はドイツ統一前に西側のCDUの党大会に出席します。その時にヘルムト・コール氏と懇親を深めました。統一後は西側CDUに入党、連邦議会選挙で当選します。
CDUからの立候補で初当選ではあったものの、コール氏にとても気に入られたのでしょうか、女性・青少年担当大臣になります。またそれから1994年には環境•自然保護•原発安全担当大臣に。常にコール首相の恩恵を受けているメルケル氏。「コールのお嬢さん」というあだ名もつくことになりました。1998年の連邦議会選挙で大敗をしたCDUはコール政権の終焉をも意味し、このコラムの最初の方に書いたようなショイブレ氏がCDU党首となりますが献金疑惑のためトップがすりかわり、メルケル氏が党首になっていきます。CDUという政党は南ドイツにその勢力がありカトリック系保守派だと言われています。だと言われているといよりも、保守派と断言してしまった方がいいでしょう。その保守派の党が、プロテスタントの父親を持ち、また東ドイツので長年生活をし、そして離婚歴があり、その上女性を党首として選ぶのですから、なにかその当時はCUDの中にも改革の風がなければならない時期だったのでしょう。党首になるには州の首相になったり、議会団長になるような段階が普通です。彼女はそのような通常のキャリアコースからは外れていました。またメルケル氏はあれほど「コールのお嬢さん」と言われていたのにも関わらず、献金疑惑の際にはコール元首相を強烈に批判しました。もしかしたらこのことがより党首の地位へ引き上げた決定的なものだったかもしれません。それにしても彼女の実力は党首、そして2005年の首相就任以降皆の知る所となります。
彼女の首相就任は2013年の現在まで続いています。これは日本のめくるめく交代する首相とは違い、安定感のあるドイツ政治を国内外に知らしめるものです。かつてイギリスのサッチャー首相が「鉄の女」と呼ばれた事と、「コールのお嬢さん」とメルケル首相が呼ばれた事をかけて「鉄のお嬢さん」とも呼ばれますが、私はサッチャーさんと比べるのではなく、メルケル氏は科学者的な冷静なる目をもち国に真摯に仕えているお嬢さんの姿がみえます。もちろん政治的な駆け引きがあったとは思いますが、歴史の激動が彼女という存在を作り、また本人もそれに順々に応えている姿が見えます。
福島の事故を受けメルケル首相はドイツ国内に17基ある原発の廃止を2020年までに行う決定をしました。彼女はそれまでは原発維持派であり、前首相、シュレーダー氏が決めた2020年までに原発廃止をまだグリーンエネルギーに頼れる準備ができてないためとして原発の2040年まで稼働延長をする政策をとってきました。3月11日の福島原発事故を受け、14日には「日本で起こった事は、科学的にありえないとされたことが起こる事だ」として原発推進から脱原発へ首相自ら舵取りをしていきます。党の意見、国の体制を変えるのにはとても勇気と力がいることです。以前は科学者であったメルケル氏、検証に検証をかさね、国を正しい方向に導いていこうとするのはやはり科学者であるから出来る事なのでしょうか。ドイツには職業的政治家という言葉があります。政治家として生まれ、政治家として職をなし人生を送るということです。政治は手工業ではないのでマイスター制度はありませんが、職業的政治家が仕事に志すものはマイスター的心得というものがあるのではないでしょうか。職業婦人であり、職業的政治家であるメルケル氏。安定した政治はEUにも外交にも頼られています。
◆その他の「ドイツの政治家」シリーズを読む
≫「ドイツの母」フォン・デア・ライエン氏
≫「ドイツの右腕」ヴォルフガング・ショイブレ氏
◆このコラムの他の記事を読む
(1)ドイツ版、国民的アイドルは誰ですの?

≫その1
≫その2
≫その3
(2)「借金からの脱出」借金解決請負人-ペーター・ツヴィーガート

≫その1
≫その2
≫その3
(3)ドイツの人気テレビ番組「ほんとうにほんとうの人生」

≫その1
≫その2
≫その3
(4)売れないレストラン再建!独TV番組「レストランテスター」
≫その1
≫その2
≫その3
(5)深夜のトーク番組「ドミアン」 ハロー、こちらドミアン!

≫その1
≫その2
≫その3
(6)黒髪長身のスーパー教育アドバイザーが家庭訪問。「スーパーナニー」

≫その1
≫その2
≫その3
(7)政治家シリーズ

≫「ドイツの母」フォン・デア・ライエン氏

≫「ドイツの右腕」ヴォルフガング・ショイブレ氏

≫「ドイツの首相」アンゲラ・メルケル氏
◆このコラムの著者、河村恵理さんのお話を、コラム「インタビュー・ノート」にて掲載しています。
河村さんのドイツでのお仕事、現在に至るまでの経緯などが語られています。
・前編 http://interview.eshizuoka.jp/e953874.html
・中編 http://interview.eshizuoka.jp/e956661.html
・後編 http://interview.eshizuoka.jp/e960315.html
アンゲラ・メルケル氏の祖父は第一次世界大戦でドイツ軍に徴兵されたポーランド人で後にベルリンに住んだ方だそうです。生まれはハンブルク生まれ、ただし父がプロテスタントの教会の牧師だった関係で東ドイツに赴任することになり、生後すぐに東ドイツに移住しています。西ドイツ生まれだが,東ドイツ育ちだという珍しい略歴をもつことに。若い頃から政治には興味をもっていたようで、父親が聖職についていたことから加入義務はなかったものの、東ドイツの青年政治集団、自由ドイツ青年団に所属していました。またCDUというのは西側の最も保守的な党ですので、のちに首相になってから若かりしとはいえ東ドイツの政治組織に入っていたことをマスコミに揶揄されるのですが、彼女は堂々とした立ち回りで、「ええ、そのことについてはだれも訊ねなかったでしょ。」と返し手を打っていました。
学生のころは成績はよいもののあまり目立たない存在だったようです。1973年、名前から東ドイツの大学だとすぐにわかるのですが、当時カールマルクス・ライプツィッヒ大学(現ライプツィッヒ大学)へ本当はロシア語と物理の先生になりたくて就学しました。学問は結局、物理学をおさめることになり、モスクワとレニングラードにて勉強をしていたとき、最初の夫,となる人メルケル氏に出会います。そうなのです。彼女の今の姓名は最初の夫からのものです。夫と共に東ベルリンの科学アカデミーの物理化学センターに就職し、1982年には離婚を経験しています。また今の夫である科学者のヨアキム・ザウアーとは1998年に結婚していますが、実は1984年の時にすでに出会っている方です。首相になった今では彼女は多忙で、土曜日の夕食ぐらいしか彼と話ができないなどインタビューで語っていました。その後 彼女は1986年に博士号を取得することに。
そして1989年にベルリンの壁崩壊という歴史的事実を迎え、メルケルは先行きが見えなくなった科学アカデミーを辞め、政治家に転身します。1990年に行われた東ドイツでの選挙にてプロテスタント系の運動から発祥したDA(民主主義の出発)という党から立候補。当選。党の報道官に。このDA党は東ドイツのCDUと合流しそして、メルケル氏はドイツ統一前に西側のCDUの党大会に出席します。その時にヘルムト・コール氏と懇親を深めました。統一後は西側CDUに入党、連邦議会選挙で当選します。
CDUからの立候補で初当選ではあったものの、コール氏にとても気に入られたのでしょうか、女性・青少年担当大臣になります。またそれから1994年には環境•自然保護•原発安全担当大臣に。常にコール首相の恩恵を受けているメルケル氏。「コールのお嬢さん」というあだ名もつくことになりました。1998年の連邦議会選挙で大敗をしたCDUはコール政権の終焉をも意味し、このコラムの最初の方に書いたようなショイブレ氏がCDU党首となりますが献金疑惑のためトップがすりかわり、メルケル氏が党首になっていきます。CDUという政党は南ドイツにその勢力がありカトリック系保守派だと言われています。だと言われているといよりも、保守派と断言してしまった方がいいでしょう。その保守派の党が、プロテスタントの父親を持ち、また東ドイツので長年生活をし、そして離婚歴があり、その上女性を党首として選ぶのですから、なにかその当時はCUDの中にも改革の風がなければならない時期だったのでしょう。党首になるには州の首相になったり、議会団長になるような段階が普通です。彼女はそのような通常のキャリアコースからは外れていました。またメルケル氏はあれほど「コールのお嬢さん」と言われていたのにも関わらず、献金疑惑の際にはコール元首相を強烈に批判しました。もしかしたらこのことがより党首の地位へ引き上げた決定的なものだったかもしれません。それにしても彼女の実力は党首、そして2005年の首相就任以降皆の知る所となります。
彼女の首相就任は2013年の現在まで続いています。これは日本のめくるめく交代する首相とは違い、安定感のあるドイツ政治を国内外に知らしめるものです。かつてイギリスのサッチャー首相が「鉄の女」と呼ばれた事と、「コールのお嬢さん」とメルケル首相が呼ばれた事をかけて「鉄のお嬢さん」とも呼ばれますが、私はサッチャーさんと比べるのではなく、メルケル氏は科学者的な冷静なる目をもち国に真摯に仕えているお嬢さんの姿がみえます。もちろん政治的な駆け引きがあったとは思いますが、歴史の激動が彼女という存在を作り、また本人もそれに順々に応えている姿が見えます。
福島の事故を受けメルケル首相はドイツ国内に17基ある原発の廃止を2020年までに行う決定をしました。彼女はそれまでは原発維持派であり、前首相、シュレーダー氏が決めた2020年までに原発廃止をまだグリーンエネルギーに頼れる準備ができてないためとして原発の2040年まで稼働延長をする政策をとってきました。3月11日の福島原発事故を受け、14日には「日本で起こった事は、科学的にありえないとされたことが起こる事だ」として原発推進から脱原発へ首相自ら舵取りをしていきます。党の意見、国の体制を変えるのにはとても勇気と力がいることです。以前は科学者であったメルケル氏、検証に検証をかさね、国を正しい方向に導いていこうとするのはやはり科学者であるから出来る事なのでしょうか。ドイツには職業的政治家という言葉があります。政治家として生まれ、政治家として職をなし人生を送るということです。政治は手工業ではないのでマイスター制度はありませんが、職業的政治家が仕事に志すものはマイスター的心得というものがあるのではないでしょうか。職業婦人であり、職業的政治家であるメルケル氏。安定した政治はEUにも外交にも頼られています。
◆その他の「ドイツの政治家」シリーズを読む
≫「ドイツの母」フォン・デア・ライエン氏
≫「ドイツの右腕」ヴォルフガング・ショイブレ氏
◆このコラムの他の記事を読む
(1)ドイツ版、国民的アイドルは誰ですの?

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≫その3
(2)「借金からの脱出」借金解決請負人-ペーター・ツヴィーガート

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(3)ドイツの人気テレビ番組「ほんとうにほんとうの人生」

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(6)黒髪長身のスーパー教育アドバイザーが家庭訪問。「スーパーナニー」

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(7)政治家シリーズ

≫「ドイツの母」フォン・デア・ライエン氏

≫「ドイツの右腕」ヴォルフガング・ショイブレ氏

≫「ドイツの首相」アンゲラ・メルケル氏
◆このコラムの著者、河村恵理さんのお話を、コラム「インタビュー・ノート」にて掲載しています。
河村さんのドイツでのお仕事、現在に至るまでの経緯などが語られています。
・前編 http://interview.eshizuoka.jp/e953874.html
・中編 http://interview.eshizuoka.jp/e956661.html
・後編 http://interview.eshizuoka.jp/e960315.html
Posted by eしずおかコラム at 12:00